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BACK TO THE TELEMARK SKI
10年の空白を経て37歳にしてカムバックしたテレマークスキーヤーの日記風ブログ 
さらば槍ヶ岳 さらば殺生ヒュッテ
明日で下山。

今日はラスト南岳ラン&槍ヶ岳山頂。
紅葉はあと数日がピークか。
残念ながら初雪はおあずけとなった。
帰りに雪渓上で遊んでいるイワヒバリを見ていたら少し感傷的に・・・。
もうこの小屋に戻る事もないだろう。

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山小屋での仕事という点では積み重ねが出来なかったのは悔いが残る。
夏は山小屋、冬はスキー場というライフスタイルは3年目に突入。

2012年は薬師岳山荘
2013年は北岳山荘&農鳥小屋ヘルプ
2014年は殺生ヒュッテ

どれも2年と続かなかった。
多分、俺はキャラが立ちすぎて閉鎖的な空間ではうまくやっていけないのだ。
農鳥小屋だけは見事にはまったけど・・・(笑)。
このスタイルは見直す時期に来ている。

が、今年はテレマーク&トレーニングという点では最高のオフシーズンを過ごした。

おかげで脚はこんなんなりました。
自分で見ても「なんじゃこりゃぁ」!(笑)
これでテレマークの更なる高みに挑戦できる。

入山前に穂高神社でひいたおみくじが見事に当たっている。

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ありがとう槍ヶ岳! さらば殺生ヒュッテ!

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殺生ヒュッテ まとめ
この殺生ヒュッテについてまとめてみたい。

殺生ヒュッテは中房温泉グループ(中房温泉、ヒュッテ西岳、殺生ヒュッテ)の一つ。
大正時代に槍ヶ岳登山がメジャーになりだした頃に燕岳から槍ヶ岳の喜作新道(東鎌尾根)を開拓した小林喜作氏が建てた小屋である。
よくこの「殺生」(せっしょう)という名前の由来を聞かれたが、この場所がカモシカなどの動物を追いつめ、仕留めるのに適していた平地であったという。
俗名は「殺生平」。
後に槍ヶ岳の肩に「肩の小屋」(現在の槍ヶ岳山荘)が建てられ、登山ブームの頃は客の取り合いで「槍ヶ岳戦争」と呼ばれていたという。

今は戦争どころか同じ土俵にも立てない。
登山道上にない立地条件がこの小屋の最大の泣き所な訳で・・・。
槍ヶ岳に向かう数千人?万人?の登山者は高台にあるこの小屋にわざわざ立ち寄る事はまず無い。
逆にガスや悪天時には避難を求めて、この小屋に殺到する日も。
そのような天候は「殺生日和」と呼ばれている・・・(笑)
この小屋からの景色はいまいちで残念ながら御来光が見られない上に延々と続く北アルプスの峰々も東鎌尾根が邪魔で見る事が出来ない。
そして当然夕焼けも無し。
登山道上にも稜線上にも建ってないのだからしょうがない。
だから総じて人気(にんき)が無く、人気(ひとけ)も無い。

逆に以上のような理由でこの小屋の最大の長所は、「ゆっくり寝られる」、「ゆっくり食べられる」という2点。
夕食、朝食共に他の小屋と比べても遜色ないレベルだし、他の小屋では食事が何回にも分けられ短くて20分程で食べなければいけないが、この小屋ではそれが無い。
加えて、1つの布団に2人、3人と混んでいる時は皆無。
逆に2つ、3つの布団に1人という状態が通常(笑)。

宿泊料金は1泊2食で税込み8500円でリーズナブル。
ガイドブックには混んでいる時の穴場と紹介されているが全くその通り。
ネットでは評判は悪いが、他の小屋に比べてサービスが著しく劣るという事はない。

では今度は働いている側から見たこの小屋の特徴。

先にあげた理由でこの小屋は暇、暇、暇で時間を持て余す。
俺はテレマークスキーとスキー動画閲覧で消費出来たが、他スタッフは辛そうだった。
仕事は早朝と夕方くらいで今思い返しても特別な仕事は何一つやってない。
働いている時間と貰っている賃金のバランスは相当いいと思うが・・・

そして最大の障害はキチガイの小屋番、66歳。※写真には居ません
朝鮮人に育てられたという中卒の元ルンペン(ルンペン=浮浪生活者)。
ヒュッテ西岳のスタッフ曰く「上野のルンペン臭がする」。
着る物も身だしなみもみすぼらしく、食べ方も下品で野蛮。
既にボケが始まっているらしく、酒好きなせいもあり感情を撒き散らし、喚くわ喚くわ。
もしかしたら朝鮮人そのものの可能性もある・・・。
だとしたら昨年の北岳山荘のゴリラ女と続いて2年連続、在日コリアンと関わってしまった事になる(泣)。
ただの使用人バイトとしての自分の立場が分かってないらしく、自分が小屋のオーナーかのように振舞う。

この老害と4ヶ月間、生活を共に出来た事が奇跡に近い。
殴り合い寸前までの衝突は何度も起きた。
来年は彼以外のスタッフは総入れ替え。
昨年も一昨年も同じ事が起きている。
この小屋では彼が原因で2年は続かないからだ。
彼と衝突して山を降りるスタッフも過去に何人も居る。

実際俺も何度か降ろされかけたが、その度に謝罪して何とか居る事が出来た。
テレマークスキーの技術を高める事へのモチベーションが高かったので、それに比べればこのクソジジイに謝る事なぞ何とも思わなかった。

多分この小屋のスタッフとして相応しい人は60歳以上の老人か相当の変わり者。
それ以外の人は応募しないのがいいだろう。
女の人など論外でもっての他。
もっともこの小屋に応募してくる女性は相当の変わり者だと思うから行けるかも(笑)。

携帯電波はドコモが発電機運転中は通じるがauは駄目、ソフトバンクは論外。
まかないは材料が限られているが、そこそこの物が食べられる。
が、当番制なので料理が駄目な人は辛い。
俺の料理の腕は飛躍的に上達した(笑)。
水は天水を利用するので無制限に使えるという訳ではない。
風呂はゴエモン風呂的な桶に5日に一度であるが湯につかれる。
バイト部屋はほぼ個室、この点では本当に助かった。

ちなみに俺の左下に居る茶髪は北海道の養豚農家から来た高校を卒業したばかりの18歳。
天皇が嫌い、米軍とオスプレイが嫌い、原発が嫌い、中国・朝鮮が大好きの馬鹿左翼。
仕事は全く出来ず、料理は出来ない(彼の作る朝食は「豚の餌」と呼んでいた)、寝坊もするが反省と改善は無く、プライドは人一倍高い。
この男ともうまく共同生活が出来る訳も無く、こちらでも殴り合い寸前の衝突が。
そしてこの馬鹿はこの写真撮影の午後、布団干し中に屋根から転落。
防災ヘリで病院送りとなった・・・(笑)。
彼が部長だったという帯広農業高校の山岳部がこの小屋に宿泊した事があったが、幼稚園かと思う程、マナーも道徳も無い。

日教組が強い北海道。
学校の現場でどんな教育をしているのかおよそ察しがつく。
北海道の偏差値の低い高校出はこれからは要注意、気を付けなければなるまい。

すこし話がそれてしまった(笑)・・・。

まとめとしては泊まるには悪い小屋ではないが、働くには辛い小屋であると言える。
なので混雑が嫌な人は是非、殺生ヒュッテをご利用ください!

俺は来年居ないけど・・・。

写真


南岳トレラン&槍ヶ岳スキー動画総集編

スキーが出来なくなってから、休憩時間は殺生ヒュッテから槍ヶ岳山荘を経て南岳への往復トレラン。
途中に中岳という曲者の山はあるが快適なランが楽しめる。
この小屋から南岳往復の通常コースタイムは6時間?位。
これをほぼ2時間で往復してもう5日目。
それにしても今日はちょっと素敵な出会いが。
テレマークはこれ程までにアクティブなのにそっちの方は本当に下手・・・。

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南岳頂上で穂高をバックに

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先々週行った笠ヶ岳・・・改めて見ると遠い!

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快適なトレイルが続く・・・

この小屋に居られるのもあと数日。
5月末に小屋に入ってもう4ヶ月。
テレマークスキー&トレーニング。
やるべき事はやったと思う。

ここ槍ヶ岳で残した軌跡の印として、今までに撮影したスキー動画を編集してみた。



周辺関係者、登山者の皆様へ。

槍沢をシュプールだらけにして景観を汚してしまい、すみませんでした(笑)。

滑り納め
9月になって天候が安定している。
毎日のように(実際、毎日だったような気がする)、雪渓に繰り出す。
この雪渓は日に日に小さくなっているが、最近の冷え込みでカチカチ。
今はコブをなめるように常にスキーを接着させる滑りが出来るようになってきた。
が、本日遂に滑り納めとなった。

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理由はビンディングのぶっこ抜け。
脚の力が強すぎるのか、ビンディングが弱いのか・・・。
これで持ってきた2本のスキーが全滅。
もうスペアも無いし、ドリルもない。
13-14シーズンがやっと終わった・・・(笑)。

と同時にこの山小屋での生活も終了が近づいている。
下山が早まり9月末となったからだ。
そしてスキーが出来なくなった本日から休憩時間は槍ヶ岳、南岳へのトレランに切り替えたのだが、槍ヶ岳山荘で次のバイト決定のメールを受信。
所詮はスキー場に入るまでのつなぎのバイトだが、ホッとした。

正直、ここの小屋はもううんざりという感じだ。
今までそうであったように来年も再来年も俺と同じような犠牲者が出る事だろう。
理由は色々あるが、ここで書くのは止めておく。

スキーが毎日出来るほど時間があったという事は・・・。
それでも俺はその恩恵を最大に生かして充実した13-14シーズンを過ごしたと言える。

テレマークのロング、ショートターンも更に早く、強く、美しくなった。
コブでの滑りも熟成出来た。
新聞社の取材もあったし(ボツになってしまったが)、NHKでのテレビ放映もあったし。

ちなみに隣の奥穂高では数十分ではあったが、雪が舞ったらしい。
ここでも早朝と夜はやたら冷えて、生活が辛くなって来た。

下山までに初雪が見れるといいなぁ・・・。
北アルプス 裏銀座往復

3日前の公約通り、ここ殺生ヒュッテ~西鎌尾根~双六山荘~笠ヶ岳の往復。
通常のコースタイムは往復で約24時間。

4:00 殺生ヒュッテ 6:15 双六山荘 9:30 笠ヶ岳 12:15 双六山荘 15:00 槍ヶ岳山荘 15:15 殺生ヒュッテ

双六から笠ヶ岳までは高速道路かと思いきや、きっついアップダウンの連続でトレイルランには不向きか・・・。
最後の方はご覧の通り、最高のラン。

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笠ヶ岳の頂上は無人。
例によって例の如く、裸体を晒し、雄たけびをあげる。
この笠ヶ岳で北アルプス完全制覇。
頂上の近くには祠があり、勿論「テレマーク成就」を祈願。

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昨年の南アルプス間ノ岳トレランで酷使してきたランニングシューズもこの通り。

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今日は全てを出し切った。
特に最後の西鎌尾根の登りは今にも痙攣しそうな脚を抑えつつ、気力が試された。

この2日間で色々な山、色々な小屋を見ることが出来たが、ここに戻って雪渓のコブを見るとやっぱりものすごい違和感を感じてしまった。
いや、作っているのは勿論俺なんだが・・・(笑)

明日も筋肉痛が酷くなければ雪の上に立つ。

そして今日は寒気が北アルプスを覆ったようで縦走路のあちこちで霜柱が・・・。
夏は一瞬で過ぎてしまったが、冬は間違いなくやって来る。

北アルプス 表銀座往復
今日は一日休み。
やってみたかった1dayのロングトレイルに挑戦。
雪渓でのコブ練習も捨てがたかったが・・・(笑)

ここ殺生ヒュッテから東鎌尾根を経由して燕岳までの行程を往復。
コースタイム片道10時間くらい?の往復。

殺生ヒュッテを4時半に出発、14時に帰ってきた。
同グループ経営のヒュッテ西岳に1時間程居たから実質9時間で往復。

下りと平坦な部分は走りまくる。
登りはなるべく速く歩く。

ヒュッテ西岳から燕岳までは多少のアップダウンはあるが最高のトレイルランが出来る。

昨年の北岳山荘からの仙丈ケ岳往復の時は往路が走れなかったが、今日は帰りも走れた。
この体はどんどん進化している。
何かが宿っているような感覚を受ける。

休暇はあと一日。
明々後日、今度はこの小屋から西鎌尾根を経由して笠ヶ岳往復だ!

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TO BE OR NOT TO BE
行くべきか、行かざるべきか。

来年のワールドカップへのエントリーの問題が急に来てしまった。
来週までには決めないといけないらしい。
再来年には挑戦するつもりだったが、果たして今シーズンに行くべきだろうか。

時間と金があるなら行くべきだが・・・。
まだカムバックしてからは日本で結果残してないし・・・。

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このジャンプが2001年に出たワールドカップでの最大の壁だった。
今の俺にクリアできるだろうか、不安だ。

同時に今のライフスタイルについて疑問を感じ始めている。
つまりオフシーズンを山小屋で過ごすスタイルがどうなのかという事。
今年は運良くテレマークができたが、来年も同じ環境とは行かないだろう。
ここの小屋番との険悪な仲も原因だが・・・。
(彼とうまくやっていける人は居ないだろう)

どうにもこういう小さい環境で生活していると人間関係の軋轢が生じてしまう。
水も電気も食料も人間関係も限られている生活にストレスを感じてきている。

まだ例の雪渓は御健在でまさか9月になってまでスキーができるとは思っていなかったが、おかげでオフシーズンにスキーが出来るメリットをもろに感じてしまった。

俺は気持ちよくテレマークやっているが、見ている登山者や山小屋関係者の中では
眉をひそめて感じている人も居るだろう。
つまりテレマークをやりすぎていて、目立ちすぎてしまった(笑)。
7月にあった新聞社の記事がボツになったのはそういう事なのだ。

できればテレマークを中心に、最高の環境で活動できる仕事場が必要。


やっぱり月山に乗り込むしかないかな・・・。

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